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他者との境界の溶解
 
「隣人について-その訪問の心得」は、最愛の祖母の死に際して制作された作品のタイトルにしては、やや奇異に響くだろう。「隣人」とは、だれのことだろう。また、「訪問の心得」とは、なにを指すのだろう。
1階では、作家が列車で帰省する途上の風景が映し出され、民謡が流れている。その歌は、よく聴くと二人の声が重なり合っており、一人は生前の祖母が自らカセットテープに吹き込んだ声、もう一人は同じ唄を歌う作家自身の声である。50年以上の年の差があるはずの両者の声は、しかしとても馴染みが良く、まるで一人で歌っているようにも聞こえる。カセットテープの記録を介して、生者と死者、過去と現在の時間が交差する。ありえないはずの時の重なりは、土着性を帯びた民謡の調べと血縁による声の類似により、ある種の奇妙な身体的生々しさを持つ。祖母の死の知らせを受け実家に帰る途上では、いつもと同じ風景は、その当人にだけ違って見えるはずである。徐々に暗くなりつつ流れゆく景色を眺めながら、生者と死者の世界の境界は、この日常では切り離せず、一続きなのではないかと感じさせる。
渡邉ひろ子が関心を寄せるのは、まさにそうした、見えるものと見えないもの、また物質が別のものに変容する境界である。作品にしばしば登場する「氷」でできた「言葉」は、境界上で形になるもの、またそこから零れ落ちていく余白を、思いがけない結びつきで視覚化する。氷は環境によって個体、液体、気体と変容するが、言葉も背景によって常に揺らいで、私的な真実や世界の姿をまるごと表すことはない。「氷」も「言葉」も、ある一瞬像を結び、次の瞬間にはとめどなく流れていく。渡邉は、その境界の揺れやそこに生じる余白にこそ、豊かなものを見出そうとする。
2階に上がり、より家屋らしく感じられる空間には、祖母が愛用していた品々が置かれ、彼女の語った話が壁に貼られたインスタレーションになっている。布でできた手製の花々、掛け時計、写真や家族へのメッセージと自らの唄が吹き込まれた大量のカセットテープ。それらの品々は、持ち主の人柄を忍ばせ、作家の祖母に対する愛着を感じさせる。逆に来訪者には、こうした展示がなければ知らなかった人物の人となりを、遺品や残された言葉で推測させることになる。そのような時、ふと奥の壁の低い位置に目をやると、渡邉の氷による言葉が映し出されている。「おじゃまします、すみません」という文字が、畳の上に現れ、やがて染みを残して消えていく。私たちも日々よく耳にし口にするこの言葉に、どきりとする。作家によるとそれは、祖母が良く使っていた言葉だといい、その謙虚な人柄を偲ばせる。同時にこのあいさつは、隣人に対してよく用いられる言葉であり、展示に登場することになった祖母自身の言葉とも、他者の私的領域を覗いている来訪者の言葉とも受け取れる。なによりは、この世をたまさか訪れてまた去っていく、人間全体の言葉のように聞こえる。水の物質的変容は、生命の循環そのものようで、それを媒体に現れる言葉は、一過性の生を顕にし、どこか飄々としたおかしみも醸し出す。
渡邉の作品の根底には、「自己と他者の境界を揺るがせたい、溶けるように消し去りたい」という思いがある。近親者の死に際して制作された本作は、作家の個人的な感情に寄り添っただけのものではなく、より普遍的な領域へも敷衍するだろう。もはや絶対的な他者となった死者との境界線を溶解しようとする試みは、オカルトめいたものでも、超越的なものでもなく、この日常に、さらに広がって森羅万象のなかに、溶け込むように知覚されている。ちょうど氷の言葉が水となり流れて、やがて蒸発するように。
 能勢陽子(豊田市美術館学芸員)