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2019年8月31日(土)
「いま、ここ…
 
 
詩的なものとは何か?という漠然とした問いは自分の中の身体の片隅に置いていて、いずれその核に近づけたらいいなぁと思っている。
わたしが妄想する、詩が発生する瞬間というのは、ある状態がある別の状態に移行する時空間そのもののことや、ある対立概念が接触したり、ふいに均等になる瞬間にあるのではないかということ。
先日、自転車で団地を爆走していたら、夕暮れ時のなんでもない街の風景を見てなんだかわからないけど、こみ上げてくるものがあった。少しだけ泣いた。
あぁ…こういう感覚はひさしぶりだと。
夕方から夜に移行する時間、夜から朝方に移行する時間、そのあわい時間。閉じたまぶたを開こうとしている、その薄目で見る世界。均等を保とうとしている、ふるえる時間。
なんだかわからないけど、わからなさのたしかさがたしかに日常の隙間にひょいっとあって、その瞬間にはいつも「あわい時空間」がある気がする。
その瞬間のなかにきっと「いま、ここ」がある。わたしの詩情がある。
いま、ここというふるえる瞬間、その揺らぎのなかに立つために、やるべきこと…
 
 


 
2019年8月17日(土)
「心象風景について、少し」
 
 
今年の6月、東村山市にある国立ハンセン資料館での企画展「キャンバスに集う〜菊池恵楓園・金陽会絵画展」を観に行った際に、特に良い絵だなぁと思った絵があった。森繁美さんの「根子岳」という風景画だ。
この絵にはある逸話があるらしい。
当時、同じ金陽会の吉山安彦さん(現・金陽会理事長で、唯一の現役画家)が一緒にスケッチに行った際に、なかなか絵を描き始めない森さんになぜ描かないのか?と訪ねた。そこで森さんは「ここ、ここ」(指で頭を指して「全て頭に入っている」という意味)と答えた。そして、菊池恵楓園に戻った際に、記憶を頼りに描いたその山の絵の色づかいを見て、吉山さんは真似できないと脱帽したとのことだ。
 
かの有名な放浪の画家・山下清の代表作である長岡花火や旅先の風景の貼絵も現地で制作したことはなく、実家や在籍していた八幡学園に帰ってから、記憶を頼りに制作する。あくまでも、旅や花火そのものを楽しむスタンス。
アンリルソーも心象風景を、日本では東山魁夷など
 
心象風景ってなんだろう?あまりにも知識がない。
 
関係あるかわからないけど、いつも何度でも思うのが、なぜ自分の中に迫ってくる風景というのは遅れてやってくるのだろう?ということ。「真っ只中」でなく、「その瞬間」ではなく、なぜ「後から」なのか…遅延が発生するのか。
 
 
 


2019年8月12日(月)
「お墓からの風景について」
 
 
お盆に帰省した際に、母と父と兄と祖母の故郷の南魚沼へ親戚参りに行った。
祖母の実家は南魚沼市の大桑原という地区で、山と田んぼに囲まれた、ザ・新潟のようなところだ。
大桑原に行く途中で、かねてから付き合いのある旧小出町(現魚沼市)のお寺さんにも立ち寄った。
そのお寺さんのすぐ近くには20年前くらいまでは渡邉家のお墓があってお盆やお彼岸などは家族みんなでよくお墓参りに行っていた。
20年前というのも、祖母が生前、そのお墓を家の近くに移したいという強い希望で小出町から今の実家近くに移した。なので今はその墓地にはうちのお墓はない。
その日は、なんとなく、昔のお墓があったあの場所に行ってみたいねぇと母と話していたので、ついでに立ち寄ってみた。本当にすっかりと20年ぶりくらいだった。
わたしは幼い頃、この墓地から見える景観を気に入っていて、年に数回家族と来るということをとても楽しみにしていた。
遠くには小出町の街が小さく広がっていて、空も広く、風通しの良い、とても気持ちの良い場所だ。
そしてこの墓地の下には祖母の大好きな祖父が眠っている…そういうイメージの優しい場所だった。
このときからお墓とは、亡くなっただれかを想うための空間であるとともに、そのだれかからこちら側へ向けて眼差されているような…そんな不思議な空間なのだと、子供ながらの感覚として感じていたように思う。(仏壇もそうかもしれない)
 
昔あったそのお墓の場所には、もうとっくに別の人のお墓が入っているでしょう…と思っていたら、なんとその場所だけすっぽり空いていたのだった。他は全部埋まっているのに。20年もの間、空白だったのだ。
それを見て、母は、ここがまだ空いているなんて、戻ってこいと言われているみたいだね、わたしが死んだらここに埋まりたい…とぼそりと言っていた。
本気なのかはわからないけど、わかる、わたしも…と少しだけ思った。あの時の、お墓を移動する時の寂しい気持ちが蘇ってきた。
自分が死んだ後、自分の身体がそこにないのにもかかわらず、理想の風景を求めてしまうというのはやはりなんだか気になることだと思った。
自分の死を神の視点で見ている、不思議な光景でもある。
 
 
 


 
 
 


2019年7月28日(日)
「 」
 
 
今住んでいる家にテレビが無いので、わたしが情報を得るほとんどがラジオ、もしくはTwitterになる。
twitterの凄さは、手軽に、いわば、社会の多様な人の反応や意見に触れることができることだ。(それもごく一部で偏っている可能性もある)
そして、その中で自分とは異なる考えが無数にあることに改めて圧倒させられる。
 
最近では、特に無差別な痛ましい事件、権力・圧力問題など、さまざまな暴力が可視化されたニュースが自分のタイムラインにも止めどなく流れてくる。
人々の反応としては怒る人、悲しむ人、傷つく人、沈黙するしかないと声をひそめる人、色々な態度がそこにあった。
あまりにも圧倒的な暴力に対して、わたしも情報を追うことをやめられなくて、しばらくの間スマホの画面に没入していた。その時、はたと自分の身体の所在のなさに気がつく。twitter内の発言する人々の大きな声や強い感情の方に引っ張られてしまって、実際に被害遭われた方やその周辺の人々のことや被害を起こした人物の動機やそこにいたるまでの極限状況など、を想像することが抜け落ちていた。
最近、特に思う。この小さな画面に引っ張られると、世の中で起きている事件の向こう側にいる人々の生が抽象化されてしまう。事件ではなくても、人々の暮らしや生活、そこにあるたしかなものが、見えずらくなってしまう。わたしの場合だけれど・・・そのことが気になっている。
先日、友人がふいに「snsに居ないからって、居ないことになる。それが嫌なんだ」と言っていた。その言葉がなぜがずっと胸に残っている。
丁寧に足元の現実世界を見て、実感として得た誠実な言葉だと思った。
 
 
 


2019年6月29日(土)
「梅酒はじめました」
 
 
ラム酒で梅酒を仕込みました。 
 
 
 

 

 
 
 


2019年5月12日(日)
「竹田の子守歌と森の風景」
 
 
幼いころ、夜眠る前に母は決まってある子守唄を歌ってくれていた。
「もりもいやがるぼんからさきにゃ…」という歌い出しから始まるこの歌は、
聞きなれない言葉と柔らかいメロディに、不思議と懐かしさのようなものを子供ながらに感じていた。
そして眠りに入る前のぼんやりとした頭に浮かびあがるのは、木々が生い茂る静かな森の風景であった。
この歌の風景は母から受けついだ記憶としてわたしの身体に今でも存在している。
そして、大人になりこの歌が被差別部落を歌っているという事実を知ることになる。
歌の背景にあるのは静かな森の風景などではなく、奉公で子守りをまかされている
女の子の悲しい守り小唄の情景だった。
子守の「もり」という単語を「forest」の森と勘違いしていたのだ。
このイメージのずれは、わたしの知らない時代の、土地の、
知らない人の記憶とわたし自身の個人的な記憶を緩やかに結ぶ余韻となって、
ひとつの真実として、わたしの中に確かに立ち上がることになる。
このただの勘違いから立ち上がった風景のつながりはなんとなく、
無視できないことだなぁと最近考えている。いずれ追求できたらなぁ。
 
 
 


 
 
 


2019年4月22日(月)
「日記はじめます」
 

ふいに日記を書きたくなりました。亡くなった祖母のことと、
その周辺にある心の事で書き残しておきたいことがぽつぽつとあったので、記録として。
 続けることがあんまり得意でないわたしだけど、後から見返すかもわからないけど、
祖母が生前、自身が大切にしていた唄を人知れず録りためていたことのように、
自分の大切にしていることを少しでも残していければ。

日々の生活の中で埋もれてしまわないように。
より自分の身体を信頼できるように。
マイペースに、ゆっくりと。