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2020年12月23日(水)
「夜の接地」
 
 
まぶたが沈む夕景、目に映るすべての境い目が曖昧さをあざやかに通り抜けて、すべての色を宿した黒へと帰着するまで待って。まぶたは束の間の安息を得ることで明日へと生きながらえたい。
午前0時の幽霊みたいな白いカーテンが浮かぶ窓辺からは、12月のひんやりと、葬儀屋の電飾掲示板の灯りのぼんやりが、素知らぬ顔してゆらりと漂ってきては静かに滲んでいる。それらは夜のまぶたにもそっと降り注がれているのだけど、決して夜の眠りを阻害することはない。質量をもたない希薄さが優しさであるということもある。
夜のまぶたは色彩からの開放を嬉々として躍り続ける。ここでは昼間の脅迫めいた見ることへの要求が押し迫ってくることはない。ひらひらと舞いながら少しずつ火照り、熱を帯びていくこの空間では、ほのかに骨の予感がする。完璧な黒さは完璧な白さを際立たせ、粉砕した骨が宙を舞っている。 
 
 
 


 
 
 
2020年11月28日(土)
「」
 
 
毎日毎日が昼の明るさと夜の暗さを往復するばかり。私は毎日毎日明るいと暗いの真ん中にいるのだから、私自身が大きな時間の流れの中にあるひとつの瞬きであるかのようだね。ひかりの。明滅の。夜になれば昼の中にあった大きな白い光が思い出され、朝になれば昨日の夜の中にあった暗やみとそこに浮かぶ小さな光の数々が思い出されるように、前の時間にあった光はぐんぐんと引き延ばされて、最終地点ではない今に追いつくようにして、日々繰り返し発光を続けてゆくのです。まるでまぶたの外側からやってきたもの全てが私の身体の内側へと丸まっていくものとして、存在しているのだと示しているみたいにね。
 
 


2020年11月2日(月)
「かんぺきなおっぱい」
 
 
銭湯とか温泉とか、大きな湯が張ってあるところが好きなので今日も隣駅にあるあの銭湯に行ってきた。その銭湯は都内のなかでもわりと有名であるらしく、いつ行ってもひっきりなしに人が出入りしている。
あつあつの湯に浸かりながら、高い天井にある汚れをいくつか確認し、自分の手の甲と指のシワを眺め、タイルに貼ってある広告物を声にならない声で読み、湯水に浮かぶ泡をいくつか数え、入れ替わるひとたちを隈なくウォッチングしたりする。
長い髪を洗う若い女性のしぐさだとか、褐色の肌に刺青が入ったギャル風お姉さんの不機嫌そうな表情だとか、交互浴にいそしむおば様方の熱気と冷気だとか、楽しそうにはしゃげる子供の弾ける声だとか、それらのひとつぶひとつぶが、妙に強い輪郭を放ち、映画の中のワンシーンみたいだ。世界がそこで完成されているのだなぁとなんだか訳もわからず泣けてくる。
そしてそこには、たくさんのおっぱいがある。時間の厚みが刻まれたシワシワなもの、酒饅頭のような真っ白ふっくらなもの、起伏なくつるりんとした軽やかなもの、色も形を千差万別。内包されている時間も違うのだ。じっくり見るのも申し訳ないのでチラチラと見させてもらいながらも唐突に、みなのそれが完璧であって、この完璧なおっぱいが集まる銭湯という場所はなんて素敵な処なのだろうという想いが巡るのだった。それと同時にも、それらおっぱいの向こうには、わたしの知らない、知り得ない誰かの想いや生活や人生が含まれていて(私にはそう思えてしまって)、その見えなさや果てしなさに対して、また遠い想いがやってきていることも自分の中で静かに確かめるのだった。
 
 


 


  
 
 

 

 
 


2020年7月26日(日)
「」
 
 
遠いもの同士を引き寄せた時にある矛盾、葛藤、偶然、脈略のない繋がり、必然性、ただ「ある」という純粋な経験(これは2つ以上のものの関係によって生まれている状態、力が均等になっている状態)、狭間という経験
「詩」があるという事はこのような運動が行われている状態のことをいう事なのかもしれない。作品経験は詩的経験
 水、瞬き、緑、夕焼け、今
 
 


  2020年7月21日(火)
「最近のせいめいの話」
 
 
子供の貧困とか、自殺とか、いのちの選別とか、ショッキングな言葉が最近よく流れてくるので、その言葉の強度に改めてびっくりしてしまうんだけど、それにしても、「いのちの選別」て言うの、無償にむかつくな。声にして発音してみたら、「せんべつ」という響きがあまりにも冷たく、ナイフのように鋭く痛いので、なんだかとても悔しい想いがするのだった。だけど、いつの日か世の中の負の連鎖によって、そのようなムードが臨界に達し、これまで大切にしていたものが反転してしまったとしたら、自分がそれを行う可能性も行われる可能性も十分にあり得る、そんな時代に生きているということに対して自覚的でありたいし、常に問うていたいし、抗っていたい。できればずっと優しくありたい。
 
先日人気若手俳優の自殺というトピックが目に入ってきて「嘘…?」と思わず声に出していて、気がつけば関連ニュースをいくつかスクロールしていた。どうやら嘘ではなく本当ということがわかり、胸がきゅっと痛くて苦しいのだけど、なんでこんな想いをわたしがするのだ、、と、その理由を言葉にできなくて更に暗澹たる気持ちになる。
 
コロナウイルス感染症によって、日本では死者が1000人に到達したというニュースがあって、その多いのか少ないのか見当もつかない、積み上がったその数字を見て、亡くなった人たち、ひとりひとりを想ってみようとしたのだけど、それらの人たちの名前すら知らないので、当たり前に上手に想像することができず、そこまでとなってしまった。
ただわかるのは、その人たちはこの世に生まれ落ちて、だれかの手によって育てられ、学校に通い、あらゆる人間関係の中で、成長し、成人して、仕事をして、お金を得て、結婚して、家族を作り、それぞれの人生があったということ。学校に通わなくても、仕事をしてなくても、結婚をしていなくても、家族がいなくても、それぞれがみずから選んだり選ばされてしまった人生があった、ということ。遠く及ばない想像が1000あった。それだけはわかる。
 
今年に入って特に世の中が嫌な感じなので、気がつけば逃げるようにして、その辺に生えてる草花を眺めたり、意識的に花屋に行って部屋に花を絶やさないようにしていた。ベランダ菜園も始めて今では10種のハーブが育っている。(かわいい)植物を見て、心が癒えたり、深く息を付けたりするのは、緑色だから、という事にふと気がついた。そもそもなぜ緑色なのだろうという、子供のような目で見る。ゲーテの色彩論からすると、光のすぐそばにある「黄」という色と、闇に近い「青」という色を最も純粋な状態で均等を保つように混合すると「緑」が生まれる。
緑色は光と闇の間の色、その両者の均等が保たれた時に明滅する生命の色ということになる。こうやって生存が危ぶまれる時代だからこそ、人は、連綿と繋がれてきたこの世のことわり(自然)のようなものに、無意識に触れたくなるのかなぁ。間にある、途中の、過程の色、緑色。ここにも「詩」が隠されていたのか、と想うと嬉しくなる。
 
4月に会うはずだった県外の親友から連絡が来て、新しい生命を授かったという連絡をいただいた。私は彼女の存在に触れるといつもなぜか泣けた。出会いの当初弱々しくあった彼女が、作品を作るごとに、自分の言葉を獲得し、それを優しく他者に手渡す事のできる、凛とした優しさと強さを兼ね備えた女性に、立派なアーティストになっていた。その過程がとても美しかった。母になるんだなぁと思うとやっぱりまた泣けた。心の水が溜まっている場所に光が射してきらきらしているみたいな、そんな気持ちになる。
 
 


 2020年7月15日(水)
「風景を見る事は孤独なこと」
 
 
夕刻時、茜色の街並みと空の下で、突然に懐かしい想いをしたり
しんと静かな住宅地から見た無限の星空に、遠い時代 先人の心を想うことができたり。
 
今、こうして目の前広がる景色を、誰かと「同じ」ように共有したいと願っても、それは絶対に不可能なことであることを知っている。その色は本当に同じ色なのかという事も、何をどう感じているのかという事も、何が想い出されているかという事も、どれだけ言葉を尽したとしても、どれだけディティールの詳細を語ったとしても、ある程度は想像力をもって理解できるのだとしても、それがどれだけ同じものだということを確かめる術は恐らくなく、完全な共有など何処にもないことがわかるそれは私の身体の独自性を示すことであり、また他人の身体もそうなのだということ。
 
ということを、今そのことを言ってみたけど、そのことは私の中の星の空の中にあるひとつみたいにただずっとそこにあって当たり前のものだった。
 
 
 


 


 
 

 

 
 

 


2020年4月7日(火)
「春の雪の日」
 
 
3/29(日)目覚めると、窓からひんやりとした外気が入ってきて、カーテンを開けたら、予報通りに雪が積もっていた。
この朝の白い景色との出会いの瞬間は、幾つになってもときめいてしまう。
そして真夜中のしんしんと降り続ける静けさを想像する。
朝食を済ませてから近所の大きな公園にカメラを持って散歩しに行った。
同じように外に出てきている人も何人か見かけた。
ちょうど桜が花開いてから2週目くらいの日で、散っている花やこれから咲こうとする花々が入り混じっていた。
この日は曇天で空と桜と雪のコントラストが少なく、眼に映る景色が白く平らで、明るい。
3月末の、生暖かく冷たい発光だった。
桜と雪が同時期に見られるなんて素敵だなぁとうっとりしながらいくらか写真を撮って、またしばらく歩いた。
 
3/30(月)朝、志村けんさんが新型コロナウイルス感染症による肺炎で亡くなったというニュースが飛び込んできた。
あまりにも突然で信じがたい。
ついこの間まで、元気そうにテレビに映っていた人が突然、突然死んでしまうのか、という現実に思考が停止してしまう。
昨日の、雪の、静かな時間の中で、志村さんはひとりで息を引き取ったのだ、というその孤独な時間を想った。
春の雪と志村さんの死が結びついて、私の中で記憶されることとなった。
こうやって人の死は何かにそっと結びつけられてしまう。
 
死の報道から一週間、なぜか私は毎晩、涙が止まらない。
特段ファンだったということでもないのに、なぜですか。
笑顔が素敵な志村けんさん、どうぞ安らかにお眠りください。
 
 
 
 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 


 2019年9月4日(水)
「花器」
 
 
友人が送ってくれたガラスの花器。
うれしい、かわいい。
 
 
 

 

 
 


 2019年8月31日(土)
「いま、ここ…」
 
 
詩的なものとは何か?という漠然とした問いは自分の中の身体の片隅に置いていて、いずれその核に近づけたらいいなぁと思っている。
わたしが妄想する、詩が発生する瞬間というのは、ある状態がある別の状態に移行する時空間そのもののことや、ある対立概念が接触したり、ふいに均等になる瞬間にあるのではないかということ。
先日、自転車で団地を爆走していたら、夕暮れ時のなんでもない街の風景を見てなんだかわからないけど、こみ上げてくるものがあった。少しだけ泣いた。
あぁ…こういう感覚はひさしぶりだと。
夕方から夜に移行する時間、夜から朝方に移行する時間、そのあわい時間。閉じたまぶたを開こうとしている、その薄目で見る世界。均等を保とうとしている、ふるえる時間。
なんだかわからないけど、わからなさのたしかさがたしかに日常の隙間にひょいっとあって、その瞬間にはいつも「あわい時空間」がある気がする。
その瞬間のなかにきっと「いま、ここ」がある。わたしの詩情がある。
いま、ここというふるえる瞬間、その揺らぎのなかに立つために、やるべきこと…
 
 


 2019年8月17日(土)
「心象風景について、少し」
 
 
今年の6月、東村山市にある国立ハンセン資料館での企画展「キャンバスに集う〜菊池恵楓園・金陽会絵画展」を観に行った際に、特に良い絵だなぁと思った絵があった。森繁美さんの「根子岳」という風景画だ。
この絵にはある逸話があるらしい。
当時、同じ金陽会の吉山安彦さん(現・金陽会理事長で、唯一の現役画家)が一緒にスケッチに行った際に、なかなか絵を描き始めない森さんになぜ描かないのか?と訪ねた。そこで森さんは「ここ、ここ」(指で頭を指して「全て頭に入っている」という意味)と答えた。そして、菊池恵楓園に戻った際に、記憶を頼りに描いたその山の絵の色づかいを見て、吉山さんは真似できないと脱帽したとのことだ。
 
かの有名な放浪の画家・山下清の代表作である長岡花火や旅先の風景の貼絵も現地で制作したことはなく、実家や在籍していた八幡学園に帰ってから、記憶を頼りに制作する。あくまでも、旅や花火そのものを楽しむスタンス。
アンリルソーも心象風景を、日本では東山魁夷など
 
心象風景ってなんだろう?あまりにも知識がない。
 
関係あるかわからないけど、いつも何度でも思うのが、なぜ自分の中に迫ってくる風景というのは遅れてやってくるのだろう?ということ。「真っ只中」でなく、「その瞬間」ではなく、なぜ「後から」なのか…遅延が発生するのか。
 
 


2019年8月12日(月)
「お墓からの風景について」
 
 
お盆に帰省した際に、母と父と兄と祖母の故郷の南魚沼へ親戚参りに行った。
祖母の実家は南魚沼市の大桑原という地区で、山と田んぼに囲まれた、ザ・新潟のようなところだ。
大桑原に行く途中で、かねてから付き合いのある旧小出町(現魚沼市)のお寺さんにも立ち寄った。
そのお寺さんのすぐ近くには20年前くらいまでは渡邉家のお墓があってお盆やお彼岸などは家族みんなでよくお墓参りに行っていた。
20年前というのも、祖母が生前、そのお墓を家の近くに移したいという強い希望で小出町から今の実家近くに移した。なので今はその墓地にはうちのお墓はない。
その日は、なんとなく、昔のお墓があったあの場所に行ってみたいねぇと母と話していたので、ついでに立ち寄ってみた。本当にすっかりと20年ぶりくらいだった。
わたしは幼い頃、この墓地から見える景観を気に入っていて、年に数回家族と来るということをとても楽しみにしていた。
遠くには小出町の街が小さく広がっていて、空も広く、風通しの良い、とても気持ちの良い場所だ。
そしてこの墓地の下には祖母の大好きな祖父が眠っている…そういうイメージの優しい場所だった。
このときからお墓とは、亡くなっただれかを想うための空間であるとともに、そのだれかからこちら側へ向けて眼差されているような…そんな不思議な空間なのだと、子供ながらの感覚として感じていたように思う。(仏壇もそうかもしれない)
 
昔あったそのお墓の場所には、もうとっくに別の人のお墓が入っているでしょう…と思っていたら、なんとその場所だけすっぽり空いていたのだった。他は全部埋まっているのに。20年もの間、空白だったのだ。
それを見て、母は、ここがまだ空いているなんて、戻ってこいと言われているみたいだね、わたしが死んだらここに埋まりたい…とぼそりと言っていた。
本気なのかはわからないけど、わかる、わたしも…と少しだけ思った。あの時の、お墓を移動する時の寂しい気持ちが蘇ってきた。
自分が死んだ後、自分の身体がそこにないのにもかかわらず、理想の風景を求めてしまう、そのこころは何だろう。
自分の死を神の視点で見ている、不思議な光景でもある。
 
 
 


 
 

 

 
 


2019年7月28日(日)
「 」
 
 
今住んでいる家にテレビが無いので、わたしが情報を得るほとんどがラジオ、もしくはTwitterになる。
twitterの凄さは、手軽に、いわば、社会の多様な人の反応や意見に触れることができることだ。(それもごく一部で偏っている可能性もある)
そして、その中で自分とは異なる考えが無数にあることに改めて圧倒させられる。
 
最近では、特に無差別な痛ましい事件、権力・圧力問題など、さまざまな暴力が可視化されたニュースが自分のタイムラインにも止めどなく流れてくる。
人々の反応としては怒る人、悲しむ人、傷つく人、沈黙するしかないと声をひそめる人、色々な態度がそこにあった。
あまりにも圧倒的な暴力に対して、わたしも情報を追うことをやめられなくて、しばらくの間スマホの画面に没入していた。その時、はたと自分の身体の所在のなさに気がつく。twitter内の発言する人々の大きな声や強い感情の方に引っ張られてしまって、実際に被害遭われた方やその周辺の人々のことや被害を起こした人物の動機やそこにいたるまでの極限状況など、を想像することが抜け落ちていた。
最近、特に思う。この小さな画面に引っ張られると、世の中で起きている事件の向こう側にいる人々の生が抽象化されてしまう。事件ではなくても、人々の暮らしや生活、そこにあるたしかなものが、見えずらくなってしまう。わたしの場合だけれど・・・そのことが気になっている。
先日、友人がふいに「snsに居ないからって、居ないことになる。それが嫌なんだ」と言っていた。その言葉がなぜがずっと胸に残っている。
丁寧に足元の現実世界を見て、実感として得た誠実な言葉だと思った。
 
 


2019年6月29日(土)
「梅酒はじめました」
 
 
ラム酒で梅酒を仕込みました。 
 
 
 

 

 
 


2019年5月12日(日)
「竹田の子守歌と森の風景」
 
 
幼いころ、夜眠る前に母は決まってある子守唄を歌ってくれていた。
「もりもいやがるぼんからさきにゃ…」という歌い出しから始まるこの歌は、
聞きなれない言葉と柔らかいメロディに、不思議と懐かしさのようなものを子供ながらに感じていた。
そして眠りに入る前のぼんやりとした頭に浮かびあがるのは、木々が生い茂る静かな森の風景であった。
この歌の風景は母から受けついだ記憶としてわたしの身体に今でも存在している。
そして、大人になりこの歌が被差別部落を歌っているという事実を知ることになる。
歌の背景にあるのは静かな森の風景などではなく、奉公で子守りをまかされている
女の子の悲しい守り小唄の情景だった。
子守の「もり」という単語を「forest」の森と勘違いしていたのだ。
このイメージのずれは、わたしの知らない時代の、土地の、
知らない人の記憶とわたし自身の個人的な記憶を緩やかに結ぶ余韻となって、
ひとつの真実として、わたしの中に確かに立ち上がることになる。
このただの勘違いから立ち上がった風景のつながりはなんとなく、
無視できないことだなぁと最近考えている。いずれ追求できたらなぁ。
 
 
 


 
 


2019年4月22日(月)
「日記はじめます」
 

ふいに日記を書きたくなりました。亡くなった祖母のことと、
その周辺にある心の事で書き残しておきたいことがぽつぽつとあったので、記録として。
 続けることがあんまり得意でないわたしだけど、後から見返すかもわからないけど、
祖母が生前、自身が大切にしていた唄を人知れず録りためていたことのように、
自分の大切にしていることを少しでも残していければ。

日々の生活の中で埋もれてしまわないように。
より自分の身体を信頼できるように。
マイペースに、ゆっくりと。